正直に言う。
その日、私はA部長代理(給与担当)と、出向社員に関する打ち合わせをしていた。
話がひと段落したところで、A部長代理がふいに、こう聞いてきた。
「凪、お前、労災って前払いか後払いか、分かるか?」
……詰まった。
なんとなく手続きはしている。でも、改めて「前払いか後払いか」と問われると、はっきり答えられない。
私が口ごもっていると、A部長代理は畳みかけてきた。
「じゃあ、その社員が期の途中で出向したら、労災はどっちの会社が払うと思う?」
もっと分からない。出向元か、出向先か。考えたこともなかった。
「……教えてください」
そう言った私に、A部長代理はニヤッとして、こう返しただけだった。
「自分で調べろ。その方が忘れん」
そして、さっさと次の話に移ってしまった。人が困ってるのに。
……というわけで、心の中で少しむくれながら、私はこの宿題を持ち帰ることになった。せっかくなので、調べた内容をここで整理しておく。同じところで「あれ?」となった人の、助けになればいい。
あ、その前に。ひとつだけ整理させてほしい。
「労災」と一口に言っても、実は2つの話がある。働く人が怪我や病気をした時に、給付を“もらう”話。そして、会社が労災の保険料を“納める”話。この2つは、まったく別物だ。
A部長代理が聞いてきたのは、後者——会社として、労災の保険料をいつ払うのか、という話だ。だから今日整理するのは、こっち。「もらう」方じゃなく、「払う」方の話だと思って読んでほしい。
まず、お役所っぽく説明してみる
労災保険料は、雇用保険料と合わせた「労働保険料」として納める。労働保険料は、保険年度(4月1日〜翌年3月31日)における賃金総額の見込み額に基づき算定した概算保険料を申告・納付し、保険年度の終了後、確定した賃金総額に基づく確定保険料との差額を精算する——。
……はい。
これ、頭に入っただろうか。私は入らなかった。
正確ではある。でも、これじゃない。こういう説明なら、検索すればいくらでも出てくる。ここは、お堅いお役所のサイトじゃないのだ。
だから、私の言葉で、もう一回言い直す。
要するに、労災は「前払い」だ
結論から言う。労災(労働保険料)は、前払いだ。
しかも、ただの前払いじゃない。「先にざっくり払って、あとで帳尻を合わせる」という、ちょっと変わった払い方をする。
イメージとしては、こうだ。
1年が始まる時点では、その年に従業員へいくら給料を払うか、まだ確定していない。残業も、賞与も、入退社も、これから動くからだ。でも、保険料は先に納めないといけない。
そこで、まず「たぶん今年はこれくらい払うだろう」という見込みで、保険料をざっくり計算して納める。これが概算保険料、つまり前払いの部分だ。
そして1年が終わると、実際に払った給料の総額が確定する。それで保険料を計算し直したものが確定保険料。前払いしていた概算と、この確定額を見比べて、払いすぎていれば次に回す、足りなければ追加で払う。これで帳尻を合わせる。
居酒屋の「とりあえず最初に席料を払っておいて、帰る時に飲んだ分で精算」に、ちょっと近い。先にざっくり、あとできっちり。それが労災の払い方だ。
いつ手続きするの? 答え、6月〜7月
この「前払いと精算」を、まとめて1回でやる時期がある。
毎年6月1日から7月10日まで。この期間に、「去年の分の精算」と「今年の分の前払い」を、いっぺんに申告・納付する。これを年度更新と呼ぶ。毎年この時期になると、緑色の封筒で申告書が送られてくる、あれだ。
ちなみに、前払いする金額がある程度大きくなると、3回に分けて納める「延納」も使える。一度にドンと出ていくのを避けられるので、資金繰りの面でも覚えておくと助かる。金額の基準や細かい条件は、その年の案内で確認してほしい。
制度の正確なところは、厚生労働省の労働保険年度更新のページにまとまっている。数字や様式は年度で変わることもあるので、最新は必ず公式で確かめてほしい。
で、出向したらどっちが払うのか
さて、A部長代理の、もう一つの問いだ。期の途中で社員が出向したら、労災はどっちの会社が払うのか。
調べた結論は、こうだ。原則は、出向先が払う。
正直、意外だった。給料は出向元が払い続けているケースもあるのに、労災は出向先なのか、と。
でも、理屈を知ると腑に落ちる。労災保険は、「誰が給料を払っているか」ではなく「実際にどこで働いているか」で見る。出向先の指示を受けて、出向先の一員として働いているなら、たとえ給料の出どころが出向元でも、労災は出向先の扱いになる。「働いてもらっている会社が、その人の労災に責任を持つ」と考えると、わかりやすい。
ここは、健康保険や雇用保険とは見るポイントが違う。同じ「出向」でも、保険の種類によって扱いが変わるから、ごっちゃにしないよう注意したい。
ただし——ここが一番大事なのだが、これはあくまで「原則」だ。在籍出向か転籍か、給料を出向元・出向先でどう分担しているか、出向契約でどう取り決めているか。条件次第で処理は変わる。たとえば、出向元と出向先の両方で働くような場合は、勤務の割合に応じて両社で按分することもある。
だから、自社で判断するときは、出向契約の内容と、給料の支払い実態を必ず確認した上で、管轄の労働局や労働基準監督署に確認してほしい。出向まわりの基本は、厚生労働省の在籍型出向の特設ページでも案内されている。迷ったら、まずここと公式の窓口だ。
A部長代理の、狙い
ここまで調べて、ようやく気づいた。
あの時A部長代理が答えを教えてくれなかったのは、意地悪じゃない。
その場で「前払いだ」「出向先だ」と聞いていたら、私はきっと分かった気になって、すぐ忘れていた。でも、むくれながらも自分で調べた今、この知識はもう忘れない気がする。悔しいけど。
「自分で調べろ。その方が忘れん」
あの一言は、たぶん、A部長代理なりの引き継ぎだ。あと数年で、この人はいなくなる。その時、答えだけ教わってきた私と、自分で調べる癖がついた私とでは、立てる場所がまるで違う。それを分かっていて、あの人はわざと突き放したのだと思う。
労災が前払いだということ。出向は原則、出向先だということ。今日覚えたのは、それだけじゃなかった。
……まあ、次に抜き打ちで聞かれた時、ちゃんと答えられるかは、また別の話だけど。
「総務・労務・経理で悩むあなたに、現場から届けます。」


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